古墳時代における火葬の紹介
別れの季節である3月になって早8日
いかがお過ごしでしょうか
別れと出会いの感動を噛み締め、大泣きしつつ本日の記事について紹介します。
題名の通り「古墳時代における火葬」についてです。
死は最も悲しい別れの一つ。現代日本の死と密接な関わりを持つのが"火葬"です。
そんな訳で記事を書きます(不謹慎)
日本での火葬の始まりからをゆるーく紹介します。紹介します(大事な事なので...)
古代日本における火葬の始まり
さて、現代日本での一般的な葬制となった火葬ですが、一体いつ頃から行われていたのでしょうか。
最も古い記録では、平安時代初期の「続日本紀(しょくにほんき)」に記されています。
これによると奈良県のお坊さんである 道昭(元興寺開祖) が700年(飛鳥時代)に最初に火葬された日本人とされています。
日本で火葬が行われるようになった理由としては「仏教伝来」にあるとの説があります。
火葬の意味で使われる「荼毘に付す」も仏教用語です。
また、日本で初めて火葬された天皇は702年に崩御した持統天皇とされています。
天武・持統天皇合葬墓である奈良県の「野口王墓古墳(墳形は上円下方(八角)墳)」には持統天皇の遺骨を納めた骨臓器が納めれていたと伝えられています。
その頃から火葬は少しづつ一般的なものとなり、これまた少しづつ日本各地に広まっていきました。
飛鳥時代以前の火葬
しかし、日本における火葬は飛鳥時代より前から行われていました。
その古くは縄文時代。
日本の至る所にある縄文遺跡から、火葬骨と思われる人骨が出土しています。
人骨の他に獣骨が発見されており、一緒に火葬されていたとも...
弥生時代においても洞窟内や土坑墓から火葬されたと見られる人骨が出土しています。
縄文・弥生とかなり早い段階から火葬が行われていたことがわかりますね
古墳時代に見られる火葬
古墳時代においても火葬に付されたと思われる人骨が出土しています。
死者を火葬に付すために、ある古墳様式が生み出されました。
それが「カマド塚」「横穴式木芯粘土室(よこあなしきもくしんねんどしつ)」と呼ばれるものです。
竪穴式石室、横穴式石室といったスタンダードな様式ではなく、全く耳にしない様式が生み出されました。
聞き慣れない様式。横穴式木芯粘土室は横穴式木室とも呼ばれています。
この方がイメージはしやすいのではないでしょうか。
横穴式木芯粘土室は遺体を埋葬する場所に木組を作り、その木組の上に粘土を塗り固める...
そして、遺体を木棺に収め、火をつけ火葬に付す。
遺骨はそのままに、副葬品を納め、墳丘を作り墳墓とする。
これとは他に、横穴式石室内で火をつけ、内部で火葬した事例が確認されています。
こういった様式が取り入れられるようになったのは古墳時代後期~終末期にかけて。
仏教による影響も少なからず受けていると思われます。
一部の天皇や貴族の人々は火葬に付された後、持統天皇の様に骨臓器と呼ばれる入れ物に遺骨を納められ、陵や墓に埋葬されました。
カマド塚はその名の通り、釜を形成し、入口に柱を立て、粘土壁で固めた後に遺体をその釜の中で火葬に付してそのまま埋葬したもの。
こうした古墳時代の火葬ですが、いち早く火葬墓を作ったのは大阪府の陶器千塚古墳群との説が...
流石古墳の聖地。
まとめ
こういった古墳時代の火葬墓は、至る所で発見されています。例えば前述の大阪府の群集墳である陶器千塚古墳群。他には福岡県や静岡県、長野県など広く点在しています。
平安時代以降は庶民にも広がり、スタンダードな葬法となった火葬。
1000年以上前から行われていると思うと、少しだけ感慨深いものを感じます。
しかし別れは別れ。感慨深さなんかより悲しさが勝るのは事実。
悔いが残らないよう生きよう。
そう思いながらこの記事を書いてきました。
なんか暗くなっちゃったな。
まぁ人間案外生きるんで楽しく生きような!
それでは次回お会いしましょう。
fin