Gaidoの古墳探訪

古墳を巡ったら気の向くままに好きなように書きます

古墳時代における火葬の紹介

別れの季節である3月になって早8日

いかがお過ごしでしょうか

 

別れと出会いの感動を噛み締め、大泣きしつつ本日の記事について紹介します。

 

題名の通り「古墳時代における火葬」についてです。

 

死は最も悲しい別れの一つ。現代日本の死と密接な関わりを持つのが"火葬"です。

 

そんな訳で記事を書きます(不謹慎)

日本での火葬の始まりからをゆるーく紹介します。紹介します(大事な事なので...)

 

 

 

 

 

 

 

古代日本における火葬の始まり

さて、現代日本での一般的な葬制となった火葬ですが、一体いつ頃から行われていたのでしょうか。

 

最も古い記録では、平安時代初期の「続日本紀(しょくにほんき)」に記されています。

これによると奈良県のお坊さんである 道昭(元興寺開祖) が700年(飛鳥時代)に最初に火葬された日本人とされています。

 

日本で火葬が行われるようになった理由としては「仏教伝来」にあるとの説があります。

火葬の意味で使われる「荼毘に付す」も仏教用語です。

また、日本で初めて火葬された天皇は702年に崩御した持統天皇とされています。

 

天武・持統天皇合葬墓である奈良県の「野口王墓古墳(墳形は上円下方(八角)墳)」には持統天皇の遺骨を納めた骨臓器が納めれていたと伝えられています。

その頃から火葬は少しづつ一般的なものとなり、これまた少しづつ日本各地に広まっていきました。

 

 

 

飛鳥時代以前の火葬

しかし、日本における火葬は飛鳥時代より前から行われていました。

その古くは縄文時代

 

日本の至る所にある縄文遺跡から、火葬骨と思われる人骨が出土しています。

人骨の他に獣骨が発見されており、一緒に火葬されていたとも...

 

弥生時代においても洞窟内や土坑墓から火葬されたと見られる人骨が出土しています。

 

縄文・弥生とかなり早い段階から火葬が行われていたことがわかりますね

 

 

古墳時代に見られる火葬

古墳時代においても火葬に付されたと思われる人骨が出土しています。

死者を火葬に付すために、ある古墳様式が生み出されました。

それが「カマド塚」「横穴式木芯粘土室(よこあなしきもくしんねんどしつ)」と呼ばれるものです。

 

竪穴式石室、横穴式石室といったスタンダードな様式ではなく、全く耳にしない様式が生み出されました。

聞き慣れない様式。横穴式木芯粘土室は横穴式木室とも呼ばれています。

この方がイメージはしやすいのではないでしょうか。

 

横穴式木芯粘土室は遺体を埋葬する場所に木組を作り、その木組の上に粘土を塗り固める...

そして、遺体を木棺に収め、火をつけ火葬に付す。

遺骨はそのままに、副葬品を納め、墳丘を作り墳墓とする。

 

 

これとは他に、横穴式石室内で火をつけ、内部で火葬した事例が確認されています。

 

こういった様式が取り入れられるようになったのは古墳時代後期~終末期にかけて。

仏教による影響も少なからず受けていると思われます。

 

一部の天皇や貴族の人々は火葬に付された後、持統天皇の様に骨臓器と呼ばれる入れ物に遺骨を納められ、陵や墓に埋葬されました。

 

 

カマド塚はその名の通り、釜を形成し、入口に柱を立て、粘土壁で固めた後に遺体をその釜の中で火葬に付してそのまま埋葬したもの。

 

こうした古墳時代の火葬ですが、いち早く火葬墓を作ったのは大阪府の陶器千塚古墳群との説が...

 

 

流石古墳の聖地。

 

 

まとめ

こういった古墳時代の火葬墓は、至る所で発見されています。例えば前述の大阪府の群集墳である陶器千塚古墳群。他には福岡県や静岡県、長野県など広く点在しています。

平安時代以降は庶民にも広がり、スタンダードな葬法となった火葬。

 

1000年以上前から行われていると思うと、少しだけ感慨深いものを感じます。

しかし別れは別れ。感慨深さなんかより悲しさが勝るのは事実。

 

悔いが残らないよう生きよう。

 

そう思いながらこの記事を書いてきました。

なんか暗くなっちゃったな。

まぁ人間案外生きるんで楽しく生きような!

 

それでは次回お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin

不定期古墳巡り記事を楽しむための予備知識 ちょっと番外編

ども!

ちょっと寄り道して番外編です。

二度あるかないかないかの貴重な番外編ですよ。

 

 

今日も今日とて、つらつらと好きなように書きます。

 

では、今回のテーマは

古墳は如何にしてできたか

です。

 

 

よくよく考えたら古墳ってなんですかね。

お墓にしてはデカいよな...ってみんな1度は考えますよね(ね?

 

かく言う筆者も、昔は古墳の写真や実物をみると「こんなのどうやって作ったんだろ」とか「誰が考え出したんだろうか」と考えてたんですよ。

そもそも、こういった墳丘墓を作ろうって考えが思いつくのってホントすごいと思います。

墳丘墓自体、世界中至る所にありますが、これほどまでに多様な形態をもつものは日本だけではないでしょうか。

 

話を戻しますが、そもそもなぜ古墳は出来たのでしょうか。

それでは、縄文時代から紐解いてみましょう!

 

 

 

縄文時代の墓制

時は遡り縄文時代、人々は家族が亡くなると穴を掘ってそこにいくつかの副葬品を供えて埋葬しました。

こういった墓を土坑墓といいます。

この土坑墓自体、旧石器時代から見られる墓制で、人間では最も古い埋葬の方法なのですよ。

 

因みに、この頃は屈葬(くっそう)が主流でした。屈葬とは、亡くなって魂の抜けた死者の体を悪霊が悪用しないよう手足を折り曲げて葬ること。

このような「モノに魂が宿る」とする考えを"アニミズム(精霊信仰)"と言います。

 

因みにこれは一説で

  1. 魂の再生を願う
  2. 穴掘るのが楽

といった説があります。

 

_人人 人人人_

> 掘るのが楽 <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

 

コホン

 

そして、縄文時代では故人を埋めた穴を囲むように石を丸く配列することがあります。環状列石といって、秋田県大湯環状列石という遺跡があります。

興味のある方は行ってみるといいかも?

 

 

 

弥生時代に見られる墳丘墓

時期が経つにつれて、文化は変わり時代は弥生時代へと移ります。

 

この頃になると、ムラが出来、ハッキリした社会階層が現れ始め、村の長が出現し始まる訳です。

弥生時代の時期によって墓制に大きな変化があります。階級によっても変わってきます。

縄文時代の頃は屈葬が主流でしたが、弥生時代になると伸展葬(手足を伸ばして葬ること)が用いられてきます。

 

弥生時代の墓制についてですが、古墳についての記事なので詳しくは書きませんので予めご了承ください。

参考までに弥生時代の墓制を以下に記します。

  • 甕棺墓
  • 支石墓
  • 箱式石棺・箱式木棺墓
  • 四隅突出墓
  • 墳丘墓

むむ?

 

弥生時代には既に墳丘墓があったんですね。

 

 

と言っても、弥生時代の墳丘墓というのは前方後円墳八角墳のように多様な形を取ることはありません。

弥生時代前期中頃から後期にかけて作られ、その分布は近畿地方から東北地方に広がります。

このように、弥生時代に作られた墳丘墓を"方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)"といいます。

円形の周溝墓も確認されております。円墳の祖先...( ˘ω˘ )

この方形周溝墓は、棺の埋葬地の周りを一辺約6m~20mの方形の溝で囲み、土盛りをしたものです。

 

後の古墳のように個人埋葬用ではなく、複数人が埋葬されている例が多いため、家族用の墓と思われます。

しかし、発掘された副葬品は豪華な物が多く、上流階級の家族の墓とも言われています

 

さてこの方形周溝墓ですが、どのような経緯で作られたのでしょうか。穴を掘り、そこに土葬していた今までの曰本からは考えられません。

 

弥生時代にもなると、石から作りだした石版を組みあわせた箱式石棺墓、木から作りだした板で作った箱式木棺墓が出来てきますがどうやってもそこに土を盛るなんて考えませんよね。

 

 

 

 

 

ここで、今まで習ってきたであろう日本史を思い出してみてください。

 

 

 

 

 

 

日本では最初から稲作をしていたでしょうか

 

 

 

 

鉄を持っていたでしょうか。

銅鐸、銅鏡、銅矛...

 

 

 

 

一体誰が作りだしたのか...?

 

 

 

 

 

もうお分かりのはずです。

 

 

そう

 

渡来人

 

 

です。

 

日本にやってきた彼らは、日本に稲作を伝え、鉄を教えました。これには日本人もニッコリ。

これと同時に方形周溝墓も伝来してきたと思われます。

朝鮮半島では弥生時代より前の時代から大量に方形周溝墓が作られていました。

 

九州にやってきた方形周溝墓の達人たちは、近畿地方へと赴き、方形周溝墓を伝えました。

そのためか九州地方には方形周溝墓が極めて少ないのです。

 

さて、日本における墳丘墓の起源は渡来人によるものとわかりました。

 

 

では、どうしてこの小型の墳丘墓が大きくなるのでしょうか。

弥生時代後期になると、近畿地方や瀬戸内海沿岸では墳丘墓が大型化し始まります。

純粋に、自分の権力を大きく見せるためでしょうか

男の子はおっきいのが好きだもの。

 

岡山県倉敷市では楯築墳丘墓(たてつきふんきゅうぼ)と呼ばれる、円形の丘に方形の張り出しをもっている、所謂「双方中円墳」の形態が見られます。

 

兵庫県では四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)が出現します。方墳の四隅を張り出させたような形を思い浮かべてください。

 

方形周溝墓からこのように発達を遂げてきた墳丘墓ですがここまでの発達は日本独自のものとなります。

脱帽。

 

 

前方後円墳の出現

さて、ここまで墳丘墓の生い立ちと生涯を語りました。ここからは如何にして前方後円墳が出来たかを推察していきます。

(調べればwikiに書いてありますが)

 

皆さん1度は聞いたことがあるであろう「箸墓古墳」ですが、日本最古級の前方後円墳と言われていますね。

 

この箸墓古墳一帯にはたくさんの古墳があります。

 

この一帯を纒向遺跡といいます。

纒向遺跡にある古墳から見て取れるのは墳丘墓の形状変化です。

纒向型前方後円墳と呼ばれる帆立貝形古墳によく似た墳丘墓が出現します。

 

纒向遺跡自体、弥生〜古墳時代にかけて繁栄していました。

一説には邪馬台国とも...?

 

纒向遺跡の古墳群は前方後円墳の祖先といっても過言では無いわけです。

 

 

...何故、前方後円形の墳形が出来たのでしょうか。

方形周溝墓と円形周溝墓が合わさることにより出来たのでしょうか。

一般的には円形墳丘墓の周りの溝に作った陸橋が円墳と共に巨大化したとする説が挙げられます。

 

楯築墳丘墓の小さい張り出しが亡くなり、前方後円墳と化したのか。

 

ヤマト政権が作ったという説もあるみたいですね。

 

 

 

因みに、日本に方形周溝墓をもたらした古墳の祖とも言える朝鮮半島にも前方後円墳が確認されています。

 

光州月桂洞古墳群
155 Wolgye-ro, Cheomdan 2(i)-dong, Gwangsan-gu, Gwangju, 韓国
+82 62-971-6595
https://goo.gl/maps/GtAQ4HC2bjSdjrUK9

 

前方後円墳は日本固有の墳形とされています。

 

 

そう、逆輸入です。朝鮮半島にいた倭人朝鮮半島に作らせた...

といっても、日本の前方後円墳とは少し形が違います。チャンコブンというらしいです。

 

 

 

 

まとめ

日本における古代の墓制と伝来についてと、前方後円墳の成り立ちを書いてきました。

ここまでを簡単に纏めると、

  1. 墳丘墓の伝来は朝鮮半島
  2. 周溝墓は各地に分布する
  3. 倭国で墳丘墓が独自進化
  4. 前方後円墳はすごい
  5. 古墳はすごい

 

まとめになったのかこれ...?

 

 

 

 

 

最後に

方形周溝墓から始まった日本の墳丘墓史は続き、進化を続け、古墳時代の到来。

力をつけたムラはクニとなり、長は豪族となる。

 

彼らの墓に墳丘墓が選ばれ、前方後円墳、円墳、方墳といった多種多様な墳形が作られる。

 

薄葬令が出されるまで、前方後円墳は古墳の王者として君臨し続けた。

 

現代においても古墳ファンを魅了し続ける前方後円墳

 

これからも、未発見の古墳が発見されることと思います。

そこからどのような発見がされるのでしょうか。

 

 

楽しみですねぇ...

 

 

 

長くなりましたが今回はここまで。

 

お疲れ様でした!

 

 

 

 

 

 

では!

 

 

 

fin

不定期古墳巡り 第3回 福島県須賀川市 ~和田の大仏及び横穴墓群~

寒い

どうも、ブログ主です。

 

最近めっきり寒くなってますね。中にヒートテック着ないと寒すぎて色々縮み上がりそうになります。そう色々。

 

冬に見る古墳もいいぞ。

ということで、第3回不定期古墳巡りやっていきたいと思います。

 

今回訪れたのは福島県須賀川市和田の大仏及び横穴墓群です。

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ここで、簡単に横穴墓について説明したいと思います。

 

当ブログ初の横穴墓です。

 

 

 

~横穴墓とは~

一般的に、山の斜面や段丘地の1~2mの高さに穴を掘り、人間を埋葬した施設となっています。

構造としては、通常の古墳の横穴式石室に非常に似ています。

しかし、墳丘を持たない横穴墓と横穴式石室では多少の違いがあるのですよ。

 

因みに、横穴墓の被葬者は豪族ではなく首長の家族という説があります。

 

では横穴墓の特徴を幾つか。

  1. 玄室(棺を置く場所)には棺を置く台を削り出しているものがある。
  2. 玄室の天井は、アーチ型・ドーム型・家型がある。
  3. 単独で存在することは稀で、多くの場合は複数から構成される横穴墓群である。
  4. 石室内に装飾を施されているものが存在している。

こんな感じですかね。

あと、山くり抜いて石室を構成する為、石を積んだりはしません。

 

横穴古墳とも言われますが厳密には古墳ではありません。古墳というのは、墳丘を持つ高塚を言います。

 まぁ広義では古墳なんですけどね。分かりずらい!!!

 

和田の大仏及び横穴墓群れびゅー

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和田の大仏及び横穴墓群は、約20基程の横穴墓から構成されています。

保存状態もよく、かなり快適に見学することが出来ました。すごく綺麗に残ってます。

この横穴墓の天井はアーチ型、見た限り棺を置く台はありませんでした。

 

ではしばらく写真をどうぞ、、、

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高くて「どうやって埋葬したんだ...」って横穴墓


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狭い横穴墓


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めり込んでる横穴墓


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急斜面にある横穴墓

 

 この横穴墓群、鎌倉時代のお坊さんの修行の地になってたとかなんとか。

そのためか、いくつかの石室の中に磨崖仏が掘られてます。墓の中でお坊さんが修行してると考えるとなんか不思議。

 

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石室の床に四角い窪みがある横穴墓

なんだろうこれ?掘りごたつですか?

 


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綺麗な入口の横穴墓。千と千尋の神隠しのトンネルの縮小版みたい。

 

 

え?

 

 


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石室内部から。異世界から戻ってきた感じ。

写真は以上です!!!!!!

 

この横穴墓群の周りには幾つか大型の古墳があり、この地にあった石背国の中心地であったことが分かります。

まぁ石背国は10年程度で消えるのですが...

 

 

 

 

 

 

 

あ、ところで疑問に思ってる人もいると思いますが

 

 

 

 "あの大仏は何?"

 

 

まぁ慌てないでください、説明します。

 

ものを投げないで

 

 

写真の1枚目に映っていた大仏は和田の大仏と言いまして、伝説によると808年(大同3年)に弘法大師(空海)が掘ったとされます。

 

皆さんよーく見てください。

 

大仏の胸が異様に削られてませんか?

 

これには理由がありまして、なんでもこの大仏の乳部を削って、母乳が出ない婦女子がその粉を煮立てて飲むと母乳がでるようになるとか。

そのため女性の信仰がとても厚いそうです。

 

 

 

終わりに

横穴墓という一風変わった古墳でしたね。

ちなみにここには今年の7月に行っておりまして、思い出して今更ながら更新という訳です。

まぁ、横穴墓といえば有名どころだと埼玉の吉見百穴だと思います。あの多さはちょっと気持ち悪いですね(

昔は、横穴墓はコロポックルの住処だとか人間の住居だとか色々な説が出てたみたいです。

 

さて如何でしたでしょうか。

和田の大仏及び横穴墓群、横穴墓好きなら1度は見てみるといいかも?かなり綺麗ですよ。

 

 

では、今回はこの辺で。

 

次は埼玉の古墳1つか2つやります。

棺に関しては忘れてください....

 

では。

 

 

 

 

 

 

あ、30年くらい前に横穴墓にホームレスが住んでたそうです。やはり住居...?

 

 

 

 

不定期古墳巡り 第3回 和田の大仏及び横穴墓群

fin

 

不定期古墳巡り 第2回福島県郡山市 〜大安場古墳〜

こんばんは、ガイドです。

初手突然のクソデカ文字。

 

 

最近は夏真っ盛り。家では裸族を貫き通す程には暑いですね。下は履いてますよ?もちろん。

 

どうでもいい前置きはさておき、今回は第2回目の不定期古墳巡りです!いぇーい!

 

今回訪れた古墳はこちら!

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郡山市田村町大善寺大安場にある大安場古墳群です。

こちらの古墳群は前方後方墳1基、円墳4基から構成される古墳群で4世紀後半〜5世紀後半頃の古墳時代前期の築造と推定されています。

https://gaido-lorelei53.hatenablog.com/entry/2019/06/07/220914

古墳時代時期区分の記事はこちら!↑

 

 

では1基ずつ概要を確認して行きましょう。

 

以下基本スペック!

 

大安場1号墳(前方後方墳)

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  1. 大きさ       全長推定約83m
  2. 埋葬施設  竪穴式石室(割竹形木棺)
  3. 主な出土品 槍1点、剣1点、太刀1点、緑色凝灰岩製腕輪形石製品1点等。
  4. 墳丘構築 前方部 2段築成

                      後方部 3段築成

  • 被葬者 郡山一帯を納めていた豪族

 

2号墳

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  1. 直径約15m
  2. 埋葬施設  石版の石室(箱式石棺)
  3. 被葬者 1号墳の一族?

 

3~5号墳

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上から

3号墳、5号墳。

宅地開発の為、墳丘はかなり削り取られてしまって居ます。

5号墳に至っては見る影もありません。

4号墳は5号墳のすぐ後ろです。

測量はされていますが、発掘調査はされていないとのこと。

 

被葬者は、1号墳の一族との推定。

 

 

 

 

以上が大安場古墳群の基本スペックです。

古墳に続く階段をひいこら登ると右手にでっかい古墳。実は小学校の頃1回きてます。

いやぁ1号墳デカい。デカい。

前期古墳特有の自然丘陵から削りだした墳丘。デカいです。多少墳丘は改変を受けているとの事ですがデカい。

 

語彙力がありませんが、つまりはそういうことなんです。

 

この前方後方墳、実は東北最大の前方後方墳なんです。今のところは。

 

f:id:Gaido_Lorelei53:20210220213237j:image前方部から後方部を見る

 

1段高くなってるのが大安場の特徴ですね

 

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後方部から前方部&2号墳

 

そしてなんとも面白いのは「周りは前方後円墳なのに何故ここだけ前方後方墳なのか」という疑問ですね。

 

福島県は大きく「会津地方」「中通り」「浜通り」と3つに分けることが出来ます。

そしてその3つの地方の中で多く作られてるのが前方後円墳なんです。

 

何故、多く作られている前方後円墳ではなく前方後方墳なのか。被葬者は変わり者だったのでしょうか...?

 

 

.....というのは冗談で、前方後方墳を築造しまくった地域である下野国那須地方(現在の栃木辺り)との関係性があるものと思われています。

 

副葬品についてですが、後方部主体部から確認された全長約9mというクソデカ割竹形木棺から剣、太刀、槍、農耕具などが出土。

 

f:id:Gaido_Lorelei53:20210220213828j:imagef:id:Gaido_Lorelei53:20210220214024j:image

 

中でも緑色凝灰岩製腕輪形石製品と呼ばれる石製の腕輪は、東北ではここ以外にまだ発見されていない大変貴重な遺物となっています。

 

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実物。綺麗な緑色ですわ...

これは大和政権との繋がりを示すもの...うわぁ歴史ロマン!

 

大抵、大和との繋がりを示すものって言えば三角縁神獣鏡といった鏡なんですけど、かなり珍しいですね。

 

前方後円墳じゃない理由は下野国那須地方以外にもあるような空気を出してますが...

 

 

 

あとは墳頂に置かれていたと思われる壺などですね。埴輪は確認されていないとのこと。

円筒埴輪くらいあってもいいと思うんですが...

壺が代わりだったのでしょうかね。

(壺は後でかく施設に本物あるよ)

 

 

 

ガイダンス施設から伸びる、長い長い山の階段を登って見てまた登って見て、円墳みて...

古墳はやっぱりロマンですわね。

 

 

見学後は、古墳の真下にガイダンス施設があるので、そこで出土品などを見学。

実物の土器にも触れる素晴らしい施設です

 

展示室に埋葬当時の模型があり、実物大の人形が割竹形木棺に入れられて展示されてました

「はぇ〜」ってノコノコ近づいたらめっちゃ音声流れてビックリしました(小さい頃もやられてる)

被葬者がよく喋る。

ボタン押してからとかじゃないと小さい子は怖いかも、、、()

 

郡山の古墳時代を示す説明板みると、やはり郡山市だけでも巡りきれないほど古墳ありますね

あ、巡りきれないです(死)

消滅してるのもあって残念な限りです

 

 

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↑墳頂からの郡山の景色。

風強すぎてまともに目を開けられませんでした。

 

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空が澄んでてとても清々しいです。

風強いのは許しませんけど!

 

 

ちなみに、古墳の墳頂から郡山市内を見渡すと、この古墳の主と思われる首長の館跡が見えるんです

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この方向にあるんですが、今は開発されて見る影もないです。

 

 

はい如何でしたでしょうか?

久々の古墳巡りレポ。

古墳についてまた知識を深められたなら幸いです。

 

 

 

 

まとめ(以下某同人ゲームのネタバレがあります)

 

 

最近では大阪の百舌鳥古墳群世界遺産に登録されることが決まり、ゲームにも古墳時代がモチーフにされたりと注目されているような気がしますね(

どのような形であれ、古墳という貴重な遺産に目を向けて貰えるのなら、古墳好きにとってはとても有難いことです。

 

 

 

それでは、また何時かお会いしましょう。次回はそうですね...古墳時代の棺についてまとめます(n回目

よろしければ、他の記事もどうぞどうぞ!

 

 

 

では!

 

 

 

 

fin

不定期古墳巡りを楽しむ為の予備知識 その3

毎度ガイドです。

前回更新からかなり時間が経ってしまいました。

単純に疲れててやる気になりませんでした(

 

言い訳はさておき今回は、

古墳時代の時期区分」

について書いていきたいと思います。

 

前回は、古墳時代の棺についても書くと言いましたが、情報が2つあると見にくいかなと思ったので次回に回します。ごめん!!!!なさい!!!!

 

では本編です

 

1.古墳時代時期区分

古墳時代は主に古墳時代出現期・前期・中期・後期・終末期に分けることができます。

時期によって古墳の形態も、副葬品も、政治形態も違います。

今回は前方後円墳中心に扱いますが...

 

中々に見応えありますよ。

何せ政治の基礎ができ始める頃ですから。

 

まぁ僕は古墳知識しかないので、政治については何も言えません。勉強しておきます。

 

 

2.古墳時代時期区分

 

2-1古墳時代出現期〜古墳の出現〜

3世紀(201~300年)半ば過ぎ、この頃になると前方後円墳が姿を現し始めます。埴輪もなく、濠もないのが特徴で、葺石(墳丘を覆う丸石)も作り方が各地によってバラバラです。

自然の山を利用して築造された古墳が多く見られます。

古墳造営の始まりです。

 

2-2 古墳時代前期

3世紀後半の古墳時代前期は、前方後円墳が多く作られる時代となります。変化した点として、円筒埴輪の出現、農耕具の副葬、呪術的品物の副葬が見られます。

主な埋葬施設は竪穴式石室となります。

被葬者は主に首長や祭祀者となっています。

この時代の有名な古墳は奈良県の「箸墓古墳」です。卑弥呼の墓とも言われていますね。

 

2-3 古墳時代中期

5世紀(401~500年)初頭、この頃は前方後円墳がさらに大型化して行きます。

人物埴輪も大型化し始まり、竪穴式石室も幅が狭いものから幅広なものになり、木棺から石棺へと変わっていきます。

各地に大型古墳が出現し、刀や甲冑、馬具といった軍事的な物が副葬品となります。軍事指揮官が主な被葬者だったのでしょうか。謎です。

中期古墳と言えばやはり日本最大の古墳である大仙陵古墳です。またの名を仁徳天皇陵

九州なんかでは横穴式石室が出現し、石人石馬といった埴輪もどきが出てきます。

要チェック!(

 

2-4古墳時代後期

6世紀(501~600年)前半、埋葬施設は横穴式石室が増えてきて、関東地方でも作られるようになります。

九州では石人石馬は急速に衰退します。悲しいかな。

一部の地域で装飾古墳が出てきます。

石室内に壁画がある古墳です

 

2-5古墳時代終末期 〜古墳の終焉〜

大和政権から薄葬令(古墳の築造抑えてねって法)が出されると6世紀後半までには前方後円墳はぱったり作られなくなります。その代わり、円墳、方墳、八角の築造が増えます。

大王クラスの墳墓も八角墳となります。

東北や北海道では墳丘墓の築造は続きます。

この頃の古墳が古墳と言っていいのかという議論もあります。

僕は古墳だと思いますo(`・ω・´)o

この頃は円墳だらけの群集墳なんかも作られてます。

 

群集墳・悪戸古墳群の記事はこちらから⤵︎ ︎

https://gaido-lorelei53.hatenablog.com/entry/2019/05/19/154246

 

仏教が伝来すると共に古墳は築造されなくなります。時代の流れってやつです。

 

さて、ここまで如何でしたでしょか。

古墳時代と言ってもここまで区切ることが出来るんですよ。不思議です┗|∵|┓

 

 次回予告ですが、古墳時代の棺について説明していきます。

それで一段落?かな。とりあえず知っておくと楽しい知識だけ記しておきます。

分かると楽しい。これに限りますからね。

 

 

さて今回はここまでにしておきたいと思います。疲れましたねー。お疲れ様です。

 

 

是非、他の記事にもお目通しよろしくお願いさしすせそ!!!

 

 

では。

 

 

 

不定期古墳巡りを楽しむ為の予備知識 その3

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不定期古墳巡り記事を楽しむ為の予備知識 その2

毎度、ガイドです。

前回に引き続きまして、「古墳巡り記事を楽しむ為の予備知識」をやっていきたいと思います。

今回はその2ということで。

 

以下、本日の目次です。

第1項 古墳の副葬品〜土器から埴輪、装身具など〜

 

第2項 古墳の埋葬施設 〜竪穴式、横穴式石室〜

 

では本編はっじめだ!!

 

第1項 古墳の副葬品〜土器から埴輪、装身具など〜

副葬品、それは古代の権力者の墓には必ずと言っていいほど残されている。

一緒に埋葬される道具や武器などだ。

エジプトでいえばツタンカーメンのマスク、金銀財宝。

古墳時代の副葬品に金銀財宝こそないものの、歴史を示す貴重な資料は沢山発見されています。

さて、このブログを読む皆さんは、古墳と言えばどのような副葬品を思い浮かべるのでしょう。

土器?埴輪?そう、その通り。その通りなんですよ。

しかし、それだけじゃない。古墳には色々な副葬品があるんです!!!

大まかに見ていきましょう。

 

副葬品その1 土器

古墳時代の土器は"土師器(はじき)"と呼ばれる、弥生土器の特徴を引き継いだ土器が主流でした。

しかし、朝鮮半島から渡来人がやってくると、"須恵器"と呼ばれる硬い土器も作られるようになります。

もちろん、こういった土器は古墳から沢山出土しているのです。

黄泉の国でも、死者が安心して暮らせるようにと願って埋葬したのでしょうか。

人間らしさが垣間見れます。

 

副葬品その2 埴輪

埴輪、教科書で1度は見たことがあると思います。

なんか踊ってるような埴輪。┗|∵|┓←こんなのとか。

一概に埴輪と言っても沢山種類があるんです。

大きく分けると2つ"円筒埴輪"と"形象埴輪"です。

 

まず最初に円筒埴輪から。

円筒埴輪とは、簡単に言いますと土管状の埴輪で、埴輪の中では1番古い歴史を持っています。

古墳時代に初めて作られた前方後円墳である箸墓古墳からも出土してるんですよ。

古墳が築造された年代を示す貴重な資料となっています。

Google画像で見てみましょう(

 

次に形象埴輪。

 

  1. 形象埴輪。形象埴輪と言っても家形埴輪、器財埴輪、動物埴輪、人物埴輪と細かく4つに分けることが出来ます。
  2. 家形埴輪 当時の首長の館、住居を模した埴輪。
  3. 器財埴輪 当時の道具や武器などを模した埴輪。
  4. 動物埴輪 馬、犬など生活に欠かせなかった動物たちを模した埴輪。馬は馬具を付けていることが多い。
  5. 人物埴輪 琴を弾く人、武人、踊る人、巫女など様々な埴輪があります。

 

こういった埴輪達は貴重な資料となります。みてて可愛いし。

しかし、この埴輪も前方後円墳が作られなくなると少しず減っていきます

時代が時代だったんですね(謎)

 

 

 

副葬品その3 装身具

古墳から出土するのは埴輪や土器だけではなく、戦で使われた甲冑、兜も発見されます。

後は勾玉(まがたま)や腕輪、金銅性のくつ、冠、ネックレスなど。次の記事で説明する古墳時代時期区分によって出土品の変化があるので、頭に入れとくといいかも知れません。

 

副葬品その4 馬具

はい、この副葬品、結構珍しいんです。

と言うのも、元々日本にお馬さんなんかいなかったんです(諸説あり)。このことから何が分かるか。

大陸や朝鮮半島との密接な繋がりですね。

日本に居ないはずの動物(諸説あり)に乗るための道具が出土する。凄いことなんですよ。

豪華絢爛な馬に乗った大王や首長達が想像出来ます。かっけー!!

 

 

副葬品その5 武具、道具

銅矛、鉄剣、銅鏡なども出土します。錆びてることがほとんどですが...

埼玉県にある埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した国宝の鉄剣、通称「金錯銘鉄剣」には古代の政治の様子が金の文字できざまれています。

古代日本を調べる上でとても貴重な財産となっておりますことよ。

後は釘、刀子なども出土してたりします。

 

あっ、そのうち埼玉古墳群レポ書きます(小声

 

第2項 古墳の埋葬施設 〜竪穴式、横穴式石室〜

古墳になくてはならないもの、それが遺体を埋葬する場所です。

そらそうですよ、お墓ですもん。

では、古墳においてどのような埋葬施設があるのか見ていきましょう。

 

その1 竪穴式石室

竪穴式石室とは古墳の埋葬施設としては最古の物で、前方後円墳に多く見られるタイプの埋葬施設です。

 

"割竹形木棺を墓壙の底に安置したあと、棺に接する部分に板状の石を重ねていき、棺と板石の間に角礫を隙間なく詰め込んで、最後に大きな蓋石をかぶせる。"

Wikipediaより

 

主に割竹形木棺が安置されます。

あ、古墳時代の棺についても書きたいな、次の記事で書きます()

 

その2 横穴式石室

はい、このタイプは主に円墳や方墳に多いですね。悪戸古墳群レポでも横穴式石室タイプの円墳が出てきました。

 

"古墳の横に穴をうがって遺体を納める玄室へつながる通路に当たる羨道(せんどう)を造りつけた石積みの墓室のことをいう。"

Wikipediaより

 

僕が書くよりこうした方が正確性は上がるんです(

世界的に見ても横穴式石室ってオーソドックスなんですよ。イギリスの古墳も横穴式石室ですし、朝鮮半島の古墳も(日本の場合、朝鮮半島伝来ですが)。

土器や副葬品(埴輪以外)は石室から出土します。これは竪穴式石室も同じです。

僕も埋葬されるなら古墳がいいです()

 

 

 

 

 

はい、長くなりましたがいかがでしたでしょうか?

だいぶ読むのが疲れただろうと思います。文も稚拙ですから理解しにくい所もあったことと思います。精進しまっせ。

 

 

前回は古墳時代の時期区分までやると言ってましたが予想以上に長くなったので次回に持ち越します。申し訳ないです。

書きたいのも出来てしまった(棺について)

 

それでは次回は

古墳時代時期区分 〜前・中・後・晩〜

古墳時代の棺 〜古墳コフィン(微妙な洒落)〜

です。

 

ではでは、お疲れ様でした。

 

不定期古墳巡り記事を楽しむ為の予備知識 その2

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不定期古墳巡り記事を楽しむ為の予備知識 その1

毎度ガイドです(激うまギャグ)

本来ならこの記事は古墳巡りの記事を投稿する前に作るものなのですが、存在を忘れていたため今更投稿となります。ほんとに今更ね。

さて、私の古墳巡り記事を楽しむ為に持っておくと便利な基礎的な古墳知識をここに書き記しておきたいと思います。
これを読んで、今日からあなたも古墳博士だ!

↓以下本題↓

基礎知識その1
古墳時代とは─
今からおよそ1700~1300年前の日本で、弥生時代の次となります。
旧石器時代縄文時代弥生時代の次ですね。
3~7世紀頃の日本では、大王(おおきみ)と呼ばれる権力者が自分の権力を示す為、巨大な墳丘墓(土を盛ってもっこりさせたお墓)を築造し始めます。
これが所謂「古墳」です。
古墳が作り始められる頃は政治集団が現れ始め、1度は聞いたことがあるであろう「大和政権」が、国の中心となっていきました。

その頃の外交関係としては、朝鮮の新羅百済伽耶と関係が密接でした。特に伽耶国。

日本の中心として大和政権は、各地の首長(各地域の長)や豪族をまとめあげました。氏姓制度とか聞いたことありますよね?
有名どころだと物部氏とか蘇我氏とか。
長く日本をまとめあげるので、まぁ平和な時代だったのではないでしょうか(


基礎知識その2
─古墳のカタチ─
さて、古墳と言えばどんな形が思い浮かぶでしょうか。鍵穴のような形、ひっくり返したら壺のような形とも思える前方後円墳がほとんどだと思います。
では、ここからひとつずつ古墳の形を大まかに説明します。Google画像などで形を見ながらこの項目を読むことをオススメします。

その1 前方後円墳
知名度では絶対負けない古墳の形です。丸と四角が合わさったような形ですね。実は、前方後円墳というのは名前の通り、丸いところが後ろで四角いところが前なんですよ。
日本固有の古墳の形です。
最近は朝鮮半島でも前方後円墳が発見されてるとの事。
これ知らない人多いと思います(そんなことは無い)

代表的な古墳
箸墓古墳(卑弥呼の墓説で有名。一応日本最古)
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
五色塚古墳



その2 円墳
はい、言わずもがな丸い形の古墳です。
このブログの古墳巡り記事第1号を飾った「悪戸古墳群」の古墳も円墳でした。
日本で一番多く作られてる古墳ではないでしょうか。
ちなみにこの古墳は朝鮮半島にある古墳と同じ形態をとっています。
渡来人が技術提供したんでしょうね(

代表的な古墳
丸墓山古墳(元日本最大の円墳)
藤ノ木古墳
牧野古墳など



その3 方墳
はい、方形の古墳です。四角です。
ほんとに真四角。築造当時は真四角なんですよ。今は判別できないのがほとんどですが...

代表的な古墳
祇園山古墳



その4 前方後方墳
方墳と方墳くっつけたらこうなったみたいな古墳。前方後円墳の後円墳が四角になった形。
東北辺りに多い。

代表的な古墳
下侍塚古墳
大安場古墳など


その5 帆立貝式古墳
円墳に造出(古墳納棺後、儀式をするための施設と考えられる突起)が着いたもの。
上から見ると、ホタテのように見えることからこの名が着いた。

代表的な古墳
雷電山古墳
女体山古墳など




その6 双円墳
円墳と円墳くっつけた形。他に表しようがない()
日本では数少ない稀有な古墳。

代表的な古墳
金山古墳




その7 双方中円墳
円墳に方墳2個くっつけた形。蝶ネクタイと言えば察しがつくかも。
全国探しても5基程度しかない。

代表的な古墳
櫛山古墳



その8 八角
八角形にした円墳。大王なんかの墓になること多数。多くは天皇家のものだと言われていて...?これもこれで珍しい。

代表的な古墳
石舞台古墳(八角墳説あり)




その9 上円下方墳
現代では天皇クラスのお墓で、近代においても築造された(昭和天皇陵、明治天皇陵など)古墳。
方墳の上に円墳を載せたような形。

代表的な古墳
石のカラト古墳



ざっくりですがこんな感じ。後は横穴墓などもありますあります(食い気味




唐突ですが、かなり長くなってしまったので1回区切りたいと思います。
疲れた訳では無い(´-ω-`)

次回は、「古墳の副葬品」「古墳の埋葬施設」
古墳時代の前期・中期・後期・晩期」を書いていきたいなーと思います。
多分「埋葬施設」で区切るかなー。
話が長くなってしまう()


では、ここまでお読みいただきありがとうございました。

次回お会いしましょう。

では。



不定期古墳巡りの為の予備知識
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